過去一ヶ月

今日、カレンダーがまだ3月になっていたことに気づいた。ああ、そうだった。母の急病の知らせを3月31日に聞いたんだった。それからすぐ日本にすっ飛んで行ったんだった。あっという間に、5月になってしまっていた。4月のページの写真もきれいな写真なので素通りするのは残念だから、しばし4月にしておこうと、4月のページを開いた。春らしいお庭の写真である。つい感傷的になってしまった。また、花壇のお庭が好きだった母のことが、浮かんできてしまった。本当は、ちょっと辛いんだけど、そんなきれいな4月のページを見ないでいるのも、さびしすぎるような気もするから。

さて、今日のクラスは、期末試験。そう、これで一応終わった。もちろん、あとは、採点と成績付けがあるので、今週末は、かかってしまうのだろうけど。これですべて責任が果たせたという気持ちでほっとした。学生たちは異口同音に、クラスが本当に楽しかったから、これで、終わってしまうのが本当に残念でさびしいということを、言ってくれた。特に、2年生は、これで終わりだし。

確かに、私も少し感傷的ではあるのだけれど、今年は、母のことで、かなり休んでしまったこともあり、ちゃんと責任が果たせるのかということがあまりにも心配だった。だから、ここまで無事に来れただけでも有難く、うれしかったので、皆と別れることに感傷的になっている余裕はなかった。

先日、医者やジムでいつも会う人に、私の最近の、母のことで日本に帰っていた云々などを話したら、「それで、学期の方は終われるの?」と心配げに聞いてくれた。私自身、そのとおりの心配があったので、「なんとか終われると思う」って言ったら、「それは本当によかったね」と言ってくれたが、まさにそのとおりの心境だった。これも、すべて、母がタイミングを見計らっていてくれたのだと思う。

今、いろいろ思い出すと、ここ過去一ヶ月のことは、本当に唐突で、しかも辛いことだったけど、弟から電話を貰った時に、ひょっとしたら、もう間に合わなかったのかもしれないわけなのに、母に会うことができて、話しもできて、二週間も一緒にいて、最後の時間も、お昼に弟嫁と看病を交代した数分後の私のいる時だったし、私が日頃離れていて、ともすれば、後悔極まりなくなりそうなところを、最後の2週間だけは私が後悔のないように、めぐり合わせてくれたのかもしれない。そんなことを感じさせてくれるような出来事の連続だったのである。いつになっても「後悔」は、決して消えるものではないかもしれないと思うけど、少なくとも、この過去一ヶ月は、私ができうる最善のことをさせてもらえたのだと信じていようと思う。そうじゃなきゃ、辛すぎるから。