四十九日の法要

今日は母の四十九日の法事だった。一昨日から日本に来ている。

今回は、その前の度重なる寝不足も重なって、飛行機では体調が悪く、頭痛と吐き気で、前半は最悪状態だった。フライトアテンダントからもらった薬が効いたのか、後半は何とか、映画でも見ようかという気になって、ちょっと楽になった。また、今の飛行機は本当に狭いので、隣の人の腕や足が、偶然私の腕や足にさわり、嫌だった。この隣の人はギリシャ人でちょっと大柄の人なので、彼にとっては大変窮屈だったと思うから、仕方ないのだけれど、女性の立場からだと、知らない男性の腕が偶然当たって、不快感を感じてしまう。

というわけで、今回の飛行は、あまり快適ではなかった。へとへとに疲れて、こちらに着いても全然眠れなかったし。

それでも、今日は再び寝不足の中、お寺に行った。法要は無事に終わり、まずは、一息。母のことを考えても、もういないということが、まだ信じられない気持ちだ。仕方ないのだけれど、まだ生きられたと思うのに、と悔しい気も否定できない。本人は、病院入院中も、自分が死んでしまうだなんて思ってなかったと思う。そんなところが、私は悔しさもあるけど、本人にとってはしあわせだったのかもしれないとも思う。

今日の法要の後、食事会があったが、そこで、父方の親戚の人(父の従兄弟で、父とは兄弟のように親しくしていた)から、父のことで、今まで知らなかった話を聞き、驚いた。彼によると、私の結婚について、母ははじめ反対していたけれど、それよりもずっと前に、つまり、まだ結婚話などなく、まだ父が生きていたときに、父は、私の電話での話しぶりを聞いてしまったとかで、勘が働いて、付き合っている相手が日本人じゃないということを感じて、どうしよう、とこの人に相談したというのだ。父はそんな心配があっても、そのことを、母には決して言うこともなかったのだ。父から話を聞いたこの人は、ずっと後になって、母から私の結婚問題について相談されたとき、初耳じゃなかったのを隠すのに苦労したとか。。。なんだかびっくりした。父は自分で感じた不安を母に言いつけることもなく、私に何を言うこともなく、静観していたなんて。

また、自分の病気がガンでもう長くないということも自分で分かっていたのに、私たちには弱音をはかなかった。この親戚の人に、手術の前に、自分はもうあと何日の命だから、後を頼むと言われたそうだ。その頃は、医者がガンの告知を本人にはしなかったから、本当に私たちは辛かった。快復しないかもしれないと分かっていても奇跡を信じて手術をしたが、手術の前に、可能性はゼロだと医者に言われていたということも彼は知らせてくれた。でも、ゼロでも、母にはかわいそうだからゼロとは言わないように医者に頼んだということも言っていた。

実は今日は父の誕生日だった。父の誕生日に母の四十九日の法要をやり、父と母の話題で昔を思い出すのは、感慨深かった。きっと母は向こう側で、こんな父の打ち明け話を聞いて一緒に微笑んでいるのだろうか。私の結婚について、父は何も知らずに逝ってしまっていたのだが、もうずっと前に勘で分かってたなんて、驚きだったが、なんだかうれしくもあった。父は、そういう不思議なところがあったよなと、改めて思い出した。無口でも、心では本当にいろいろ感じ理解し、見えていたというような。母のほうがもっと分かりやすかったけど、そんな母を、静かに、でも思いやりを持って、見守っていた父がいて、うれしかった。今は、あちら側で、また二人で、ほのぼのと、そんな関係を続けているのだろう。