週末の三日間、

今月もM州の友人宅に行って来た。いつものように、ピアノのレッスンをする他に、ダンスに行ったり、食事に行ったり、買い物に行ったりして楽しく過ごした。夜は、春に歩いたB公園がクリスマスライトで飾られていたので一緒に歩いた。寒かったけれど、そこの温室の中は温かくて、花の香りでいっぱい、模型の電車も走っていて、一面に設置された箱庭の町並みがとても可愛かった。

日曜日には、メサイヤの音楽会にも行って来た。今年は今月のはじめに自分でも弾いたので、チェンバロの楽譜が浮かんできて、今までとは違った聞き方になっているのは我ながら面白かった。私の耳は、チェンバロの演奏を知らず知らずに聴こうとしているんだから。知的な意味では満足度は高くて楽しい刺激になったけど、もはやメサイヤに対して音楽鑑賞者としての純粋な聞き方が出来なくなっているのは、ちょっと残念な気もした。

町はどこも、クリスマスの飾りと音楽でいっぱいだったが、帰り道、ラジオはクリスマスの音楽ばかりで、きれいだとは思うけど、すぐに飽きてしまうし、クリスマスの音楽って、なんとなく侘しさを感じるものだとつくづく思った。実は、これもこの季節が苦手な所以の一つなのだが。

夢心地で小旅行を楽しんだあとは、帰宅後の忙しい現実で、急に焦って、今日は一日中飛び回ることになってしまった。日頃の予定じゃないと、予定も間違えそうだし、この場に及んでCMTAの仕事の問題が出てきたり、生徒のコンクールやレッスンの問題が出てきたり、問題を片付けるのに右往左往したりした。


ところで、この二日間、不思議な勘が当たることが2〜3回もあった。
詳しくは書かないけど、一つは一昨日、1年も会わなかったあるピアニストのことを他の人に聞かれて、ああ、そうだわ、そんな人もいたわねと思ったら、その直後(正確にはその次の日で昨日)一年ぶりに初めてこの人からメールをもらってびっくりしたり、
以前の教え子のAの好きなものを今朝偶々店で見つけたので、それを買いつつ、彼はどうしてるかなと考えていたら、なんと、その1時間後、半年ぶりに彼から電話をもらい、びっくりしたり。彼は日頃は他の町の大学に行ってるけど、最近、家族の家が売れたので、家に戻ってきて引越しの手伝いをして来週家族と共に引っ越してしまうと言う。だから、私に会いたいと電話をかけてくれたのだった。
もう一つは、ある喫茶店に行ったら、そこで、メサイヤのリユニオン(同窓会)のように、この間一緒に弾いた仲間3人が偶然それぞれそこに来ていて、ばったり。

こういう偶然が度重なる毎に、いいことはいいけれど、あまり予感したことや考えたことなどが当たり過ぎるのはちょっと。。。