今週は、

年末年始、ダンスの競技会のため、出かけていた。まさに魔法の夢の世界だった。現実とは思えないほど、すべて忘れて違う次元の世界にいた。昨晩帰ってきて、今日は、友人が訪ねてきたので、少し現実に戻ってきた。でも、まだ感動覚めやらず。
ダンス競技会は本当に楽しかった。私はスタンダートのクイックステップと、スムーズを踊ったけど、メダルを二つももらえたし、満足。その後の、年明けパーテイーも最高だった。ダンスも競技会であれだけたくさん踊ったのに、パーテイーでも、まだ踊り続けていた。
カリーナとスラビックのショーも最高。我々ののグループの一人は、ショーを見て感動のあまり泣いていたら、なんとカリーナは、彼女にハグしにきたので、彼女はますます泣き崩れて感動も頂点。若いってすごい。まっすぐに感動する彼女は本当に可愛かった。
昨日のワークショップも素晴らしかった。カリーナとスラビックの本当にマジカルなショーの後、ワークショップを実際に受けられるなんて。間近に接する彼らは、とても普通だったけど、超人的なテクニックの高さは、決して才能ではなく、地道な努力の積み重ねであるということを言われると、なんだか、思い当たる言葉をふと思い出した。うちの子供たちが小さいころ、バイオリンの先生が、音楽的かどうかは、気持ちから入るものではなく、テクニックなんだと、しきりに言っていた。完璧なテクニックを持って演奏すれば、自ずと音楽的な響きになるのだと。ダンスでもそうなのかと、目からうろこ。気持ちを入れる前に、完璧な技術を積み上げなければ、何もできないと言うことなのだ。
マジカルなショーは、今もなお心に残っていて、胸が痛くなりそうだ。それが本物の感動と言うのかなと。このレベルには、一生をもってしても、近づけないけれど、こういう感動を味わえたのは宝物だと思った。
スラビックは、ワークショップの途中で、時々、日本語の言葉を発したので、後で、個人的に彼に聞いたら、日本語がわかるわけではないけど、何度も行ったから覚えたと言っていた。サインをもらいに行ったら、カリーナは、私のために日本語の言葉を書いてくれた。日本人は私しかいないのに、日常に日本語の言葉を、ワークショップで使うっていうことが本当におかしかった。たとえば、ちょっと待ってください、とか、どうぞ、とか、お願いします、とか。そこにいる誰も意味がわからないのに。