「名残惜しい」という言葉

今年の夏は、日本の親しい友人たちがこちらに初めて遊びに来てくれた。本当にうれしかった。とっても楽しかった。十代の時の友達は変わらなくてその年月を感じないけど、同時にお互い頑張ってきた年月を感じて、それはとても幸せな気分だった。
別れ際に名残惜しいと言われたら、なんだか胸がいっぱいになり、寂しかった。一緒に過ごした時間は短いのに、永遠であるような錯覚ですっかり楽しんでいたので、この楽しい時間が終わるとき、急に終わってしまう気がした。友人が最後に言った「名残惜しい」という言葉が心に響いた。滅多にこんな気持ちになることはない。ドライな私としたことか。。。
一方で、今年は、先月、日本で他の親しい友人のショックな言葉があったからなのかもしれない。アメリカには興味がない、アメリカにいる私に会いたいだけだから、私が日本に帰ったとき、日本で会えるからアメリカには行かないって言った。彼女はそう言いながら、ヨーロッパには旅行するのだ。親しい友人だったから、ショックだった。
でも、今でしか見えないもの、今まで大事にしてきたもの、大事だと思っていたもの、信じてきたもの、感じたもの、どんな年月でも変わらないもの、変わったもの、以前の想いも今の想いも、すべて真実で、肯定しようと思った。ふと寂しいと思ったり、変化に戸惑うけれど、私自身も変わってきているだろうし、みんな公平なのだと思う。その時点で、その都度、必要なものが与えられるのだと感じる。
訪ねてくれた友人たちとも、再び、新たな、しかもさらに親しい友人関係を築くことができて、本当に嬉しいなと思う。