出発前日

明日、アメリカに戻る前に、いろいろやっておかなくちゃいけないことがあり、今日は次々と片付けていた。もう午前二時、三時間後にはタクシーが来るのだが、今、ようやくパッキングを終えた。子供は今晩は徹夜して、帰りの飛行機で眠ろうとする思惑とか。

今日は、母のことで、いろいろな生前のエピソードを聞き、また新たに想いにふけってしまった。こんなことを繰り返しながら、失った悲しみが、いつか懐かしい思い出になっていくのだろうか。

今日は、母の生前の友人の一人に会った。お通夜のときに初対面で、次のお葬式の日に、用事がある中を式の前に少しでもと立ち寄ってくださったとき、私にメールアドレスを下さった。この人はもともとは母の大正琴の先生だったのだけど、友人としてもお付き合いしていたので、母からも話をよく聞いていた。私はそんなつながりで、知り合いになれたこと、そして、今回もこの方のほうから、ぜひ会いたいとおっしゃってくださったのは、うれしかった。母の思い出などを話しつつ、いろいろエピソードを教えてくださった。母は遠慮深く、自分を抑えて人のために尽くす人で、先生も何回も窮地を助けられたと言ってくださった。

そのエピソードの一つ。
ハワイに演奏旅行に行った折、おそろいの帯の注文の数が先生の手違いで、一つ足らなくなったことを、母がふと耳にしたらしく、そっと先生に声をかけて、自分の分の帯を先生に使ってもらって、母自身はたまたま持っていた似たような色のものを帯にして舞台に出たり、やっぱり手違いでお弁当が一つ足りなかったときには、それを荒立てず、他のお友達と二人で、半分ずつ食べて皆の雰囲気を壊さないようにしたり、いつも周りや状況を考えて皆のために尽くす人だったとおっしゃった。

確かに家族の中でもそういう面が強く、実はそれが私の不満だったときもある。たとえば、私の大学院の卒業式に初めてアメリカに来ようかなって言ってくれたのに、弟嫁の旅行とたまたま同じ時期に重なってしまったら、それでも行くとは言わず、家にいる他の家族の世話をするため、自分の旅行をいとも簡単にあきらめてしまったり。。。

家族のために、また、他の人のために自分のしたいことを抑えて、すぐにあきらめてしまうなんて、美徳ともいえないと、私は文句を言ったこともあった。自分が損をしても相手や周りをいい雰囲気にしたい、しかも我慢してるというよりも、それを喜んでするというところがあったのだ。

私自身は、ちょっとその反面教師なのか、私は自分でしたいことは、我慢しないでなんとか、実現させようと思い、無理のない程度に自分の希望は絶対にあきらめないので、母を時々驚かせたようだ。でも、そんな母に育てられたことが、知らず知らずのうちに内部には入ってきているのか、この頃、自分の中にもそういうところがあるかなと思うようになった。基本的に私も他の人がうれしそうに、また楽しそうにしているのを見るのが好きだから、知らぬ間に母と同じことしているみたいと感じ、育ってきた環境の影響は年齢を経るにつれ、出てくるような気がしている。

この母の友人は、笑顔が本当に素敵な、いい感じの方だった。母を知るこの方と、母の死が縁でこうやって知り合いになれるのは、本当にうれしく思った。本当は、やっぱり母がもう少し長く生きてくれてほしかったし、母がいない悲しみがまた新たになるような感じもするんだけど、この出会いの種はまさに母が蒔いてくれたもので、きっと母はこれを望み、喜んでくれていると思う。この方も信心深い方のようで、人間はこの世にいる時よりも、あの世ではもっともっと大きな力を出せるんですよと言っていた。今の母は、きっと今までよりも一層強く見守ってくれていると感じている。