日曜日は、

ピアニストの仕事で教会に行くが、説教は、ほとんど真剣に聞くことはなく、説教の話を流し聞きながら、その間に、説教後のコミュニオンでバックグラウンドの音楽を何曲か弾かなきゃいけないので、あれにしようかこれにしようかと、楽譜をめくっていることが多い。

が、今朝、説教の中で私のことを突然話され、ドキッ。大したことではなかったが、音楽をやるN(私)は、たとえ才能があっても、いつも練習する、と話されていたのだが、実のところ、教会のための曲はほとんど練習しないので、ちょっと心中、気まずかった。練習しないから、何の曲にしようかなと楽譜をめくっているわけだし。

要するに、今日の説教では、何事も、一足飛びにできるという事はない、日頃からの地道な信仰の努力がないといけない、ということを、いろいろ例をあげながら、話されていたのだった。だから、私のピアノも、簡単そうに素晴らしい演奏であっても、その背後には、地道な日々なる練習の賜物があってのことと言われたわけ。確かに、3歳から習ってきた者としては、長いピアノとの関わりなので、これくらいのことは練習しなくてもできるわけなんだけど、ちょっと気恥ずかしかった。

その流れで、ジョン・デンバーの話題が出たので、若い頃、大ファンだった私としては、聞かないわけにはいかない。彼は、自家用飛行機の事故で亡くなったことは知っていた。でも、その真相は知らなかった。その飛行機は実験的なもので、二つのガソリンタンクを積んでいて、一つがなくなるともう一つに切り替えるというものだったらしい。一つ目のタンクがなくなったところで、二つ目に切り替えようとした時に、うまくできなくて墜落してしまったのだが、調査の結果、本人は、その二つ目のタンクにガソリンを入れ忘れており、たとえ切り替えがうまく行ってたとしても、墜落はまぬがれなかったということだ。完璧に準備点検をしていたら、その事故は起こらなかったかもしれない。近道をしたいというちょっとした人間の怠惰な気持ちやおごりで、自らの命を亡くしてしまう。というぐあいに、説教では話されていた。

確かに、信仰はどうであれ、ちょっとしたミスで悲劇が起こることは本当に多いと同感。でも、彼の場合、うまく切り替えができたとしても、ガソリンを入れ忘れていたわけで、それを思うと、我々のとてもコントロールできない運命を感じてしまう。