母の夢

今週の寒さは、ちょっと身体にはきつかった。先日寒いと思っていたら寒気だったようで、夜、発熱してしまったのだが、次の日には熱は下がっていて、なんとかセーフ。こう急に寒くなると、身体の準備ができてなくてきつい。

笑われるかもしれないけど、先日の夜、寒くて、暗くて、それでも、郵便物を取りに行かなきゃ行けないのに、どうしても暗い中を歩いていく気になれなくて、家の前の郵便受けまで(わずか徒歩30秒の距離)、わざわざ車で郵便受けに取りに行った。果たして次の日に、熱が出てしまったんだが、身体は自然に、その違和感を予知できるのかもしれない。今日はすっかり元気になり、そうしたら、運動もする気になるし、ピアノの練習にも精が出るし、知らぬ間に活動的になる気がする。。。これが自然なんだと思う。 


ところで、先日、また不思議な夢を見た。また母の夢。ただ、母は、その時、実はまだ生きていて、再度危篤状態になり、とうとう亡くなったというシーンだった。その時私の心中で、今度は本当に亡くなってしまった、とつぶやいていた。ところが、夢の中では、その後、母は、なんだか知らないけど、元気に起き上がり座っているのだ。その座り方がしゃんとしていて、元気そうでニコニコ微笑んでいて、しかも、若くなっているような気がしていた。その時、あれ、私と似てるみたい、と思っている自分がいた。そうこうしているうちに、その母はもっと若くなり、娘時代の姿、さらに、女学生時代、次には子供の女の子の姿になっていた。私には、それぞれの姿が前に見たことがあるように、はっきりとしていて、おそらく、それは、母のアルバムの写真が頭に残っていたのかもしれないのだけど、とにかくはっきりと見えていた。その内に、母は消えてしまっていた。ああ、これで、本当に亡くなったんだと思った。

とても強烈な印象で、起きても一日中なかなか消えなかった。そして、仏教の輪廻を思った。確かに生まれるも死ぬも同じ中にいるような気がしたし、亡くなる時に年とっているのに、亡くなったら若返って赤ん坊になって消えるっていうのも有りなのかもと思ったり。

最近、母からのオーラのようなもので、今も何かしらつながっているものを感じられることがいろいろ起こったりしているように感じることがある。生まれ変わりじゃなくても、誰か他の人、または物や事柄にのっとって、私にメッセージを伝えてくれたり、支えてくれているような気もしている。

そして、昨日も今日もまた不思議な偶然を感じてしまった。

昨日、たまたま、大学で英語のファカルティと芭蕉のある俳句について話し合っていたのだが、私が「送られつ送りつはては木曽の秋」についての「送る」の意味は、誰か別れる人を送るというだけではなく、日本語では、その送る別れは「死」も意味するという事を説明し、だから私は4月に母を見送ったということなのよと言ったら、彼は驚いていた。というのも、彼が読んでいた英訳には、その意味はまったく書いていなかったのだ。

また、今朝、たまたまうちの子供と話していて、日本で新しい葬儀場のオープニングセレモニーでチェロを弾く仕事を頼まれたとかで、それがおりしも、今年、日本で今話題の「おくりびと」という映画でチェロが人気なんだそうで、そのサントラ曲も含めて30分間ソロで弾くという事らしい。おくりびと、とは、葬儀の時、亡くなった人を送る人のことで、さっそく、ネットで予告の映像を見たら、母のことをまた思い出してしまったのだった。

先日の夢に続けて、昨日の会話といい、今朝の子供との会話といい、なんか母を思い出すことばかりで、実は、今回は悲しいというより、母のつながりやオーラを感じられて、うれしいような気がした。知らず知らずのうちに、何らかのつながりを見つけようとしているのかもしれないが。