To know one has enough (足るを知る)

ふと、この言葉を考える。

子供の時は貧しい方がいい。物が多くない方がいい。生活がそんなに楽じゃなくてもいい。大人になってだんだんほしいものが手に入ってくる方がいい。現代は物があふれている。子供たちには便利すぎる。大人になっても、そういう生活が保証されることはないのだから、そんな時、逆境の貧しさに耐えられるのだろうか。

と、ふとこんな想いにふけったりしているのは、若くない証拠なのかも。でも。。。

以前、参加した北海道での音楽学会で、手配のミスで、発表者用のホテルの部屋が足りなくて、ハンガリーのピアニスト二人の大きな男性が名乗りをあげ、ベッド一つに二人でということになった。窮屈さの文句一つ言わず、寝れるから大丈夫だと言って、日々、質の高い演奏と発表をしていたことをまだ覚えているし、また数年前もロシア人のピアニストの演奏会で、そこの会場の楽器があまりよくなくて、気になったけど、彼はすごくレベルが高いのに、文句言ってなかったし、先日の友人の別のロシア人ピアニストのコンサートの件に関して考えても、私には、彼らは、足るを知る人たちだと感じる。

それに反して、アメリカや日本のピアニストはどうだろう。或る私の知るピアニストは、どんな演奏会であれ、私は、スタインウェイの7フィートのコンサートピアノでしか弾かない、と言うので、そのピアノ探しに、最近もWMCメンバーの担当者が奔走していたし。ところが、実際、こういうタイプのピアニストは、結構多いのだから。

まだ、東欧諸国は芸術の高さの割に、生活の貧しさがあり、それだから、足るを知る人たちが多いのかもしれない。でも、私は、芸術の高さゆえ、質の良い楽器を求めることが理解できる一方で、そういう足るを知る人たちに大いに価値を感じる。


ところで、今夜のU2のコンサートだが、7000人もの人たちがやってきたとか。今日のクラスは、結構欠席者がいて、その中の少なくとも数人はコンサートへ行った。道路の混みようは大変だったようで、遅れてきた一人の学生は、普通なら、2分で行けるところなのに、一時間もかかってしまったと言っていた。