感傷的になるとき

親しくしていたピアノの友人が11月末に亡くなり、今日は彼女のメモリアルサービスがあった。私の母と同じ年齢で、母が亡くなったときには、彼女はまだ元気で、私のことを慰めてくれたり、一緒に楽しく過ごしてくれて、私は彼女を慕っていた。
つい最近まで、元気だったのにと思うと、人生の果敢なさを痛感して、まだ信じられないという気持ちと共に、やっぱりさびしい。彼女の気丈さと絶えず微笑んでいた明るさ、いつも前向きな姿勢にはいつも頭が下がった。私もあんなふうにいられたらと憧れもこめて慕っていた。彼女は私の装いをいつも気に入ってくれて、いつも優しい言葉をかけてくれた。
また特に彼女の誰に対しても偏見を持たない態度はすごいと思っていた。それは、やはり世界中に住んだ経験があることにも関係しているのではないかといつも思っていた。彼女は、まだ子供が小さい時にイラクに住んでいて、爆撃で夫を失くし、一人で二人の子供たちを育てあげた。私は母への気持ちとダブる気持ちもあり、彼女がいないのだと実感するのは、悲しかった。


年末年始があまり好きじゃない理由の一つには、感傷的になる要素が多いという事もあると思う。ふと昔のことなどを思い出したりすることも多い。懐かしい友だちからの便りは勿論うれしいけど、時に感傷的になったりもする。私はいつも前を向いていたい性質だし。勿論、時に感傷的になるのも悪くないけど、あまりじめじめした気持ちになるのは私の性に合わないから、どうも苦手なのだ。

それでも、今夜、さっそく友人から借りた紅白歌合戦のビデオを見たら、本当に懐かしかったし、楽しかった。実は、以前の私は紅白をあまり楽しむ性質ではなかった。日本にいるときは見ることすらなかった時もあるのだが、ここまで日本を離れてしまうと、やっぱり懐かしい。
最近の流行っている歌手などは全然知らないけど、いろいろ工夫がなされていることを見ながら、とても楽しかった。とは言え、演歌はやっぱり苦手で、飛ばしたい気分になるのは以前と変わらないのだけど、昔から出ている歌手の人たちの現在の状態を見るにつけ、ああ、この人は老けたな、とか、この人は全然変わらないな、と、一喜一憂するのは、自分のことと重ね合わせているのかもしれない。

母がいるときには、毎年、私が頼まずも、録画して送ってくれたのだけど、その頃は、それ程まで見たいと思っているわけではなかったのに、母がいなくなったら、見れなくなるということが異様にさびしくて、そんな折、昨年も今年も、友人がビデオを撮ってくれて見せてもらって、本当にうれしかった。いつの間にか、紅白の番組が特別の番組になってしまったようだ。