一夜明け徒然

無事戻ってきた。ダレス空港に着いた時には、かあっと暑かったけど、3週間エアコンをつけっぱなしにしておいたお陰で、うちに着いたら快適、ようやく落ち着いた。

今回の帰省には今までになかった気持ちがあって、向こうを発つ時にはやっぱり今までに感じたことのない思いにとらわれた。思えば、今年ここに住み始めて10年目になる。
十年一昔、石の上にも三年、光陰矢の如し、などなど、言い慣わしの言葉の数々。。。それぞれ、昔の人は、うまく言ったものだといつも思う。そこにはそれぞれ真理があると思う。何千年の(言い方悪いかもしれないが)人体実験の結果から生まれた東洋医学だったり、何億年もの間、毎晩観察してきた天体の星の動きと世の中の動きとの関連だったり、または、それが個人的な人生に関わったものだったり、古代を含め昔の人たちが苦労や苦難を通して学んできたことを軽んじてはいけないと思う。

私にとって初めて、10年という時空間をもって、明らかに変化したものが分かると感じた。西洋占星術では、月は母親を意味し、それと同時に自分の感情を意味する。
私にとって、二年前の母の死はいまだに大きな出来事で、特に私にとって「日本と母」という組み合わせは密接であり、それは確かに私自身の感情に関わると思う。例えば、日本への懐かしさは母への懐かしさと似ている。子供の頃から自我が強かった私は、いつも外を見ていたし、前を見ていたし、特に後ろを見ることがずっと嫌いだったから、いつも前向いていたかったのだが、この二年間は、母が生前言っていた言葉などが、よく思い出されてしまう。でも、そんな時には、できるだけ、思い出を息子たちに話して忘れないようにしようと思う。今なら、息子たちもよく覚えていてくれるから。母から得たものを大切に、そしてその心が消えてしまわないようにしようと。

母の死でいろいろな変化があった。それは、それまで、想像すらしなかった出来事もある。それを私なりに受け入れ、これからはまた新しく違う目標を持ってやっぱり前向きに生きて行きたいと感じている。それが不思議なことに、そういう変化に意外と自然に柔軟に順応している自分がいて、知らぬ間に10年という塊を生きていたようなのだ。

帰りの飛行機で見た映画「Alice in Wonderland」の中で、ぶら下がって死んでいく青虫(さなぎになる)に、アリスは、死んじゃったら悲しくて寂しいと言ったら、悲しくないんだよ、死ぬんじゃなくて生まれ変わるんだからまたどこかで会えるんだよと答える青虫。ワンダーランドで出会った青い青虫は現実の世界で青い蝶として飛んでいた。
死は終わりではなく再生(rebirth生まれ変わって生きる)でもあること。母の死によって得たもの、新しく見えたもの、分かった事、これからどう生きようか、などなど、確かに得たものは多いのだ。