今日の一句

「Yesterday was a history. Tomorrow is a mystery. Today is a gift.」(昨日は歴史、明日は未知、今日は賜物)

「今日」という日、「今」という時間。。。一日一日、一瞬一瞬を大切に生きて行きたい。


大学卒業後何年か経ったとき、恩師を訪ねた。彼は、私が卒論でかなり真剣に内村鑑三を研究していたのに、数年後、私がもはやキリスト教ではなく、禅や密教などの神秘的世界に惹かれていたことに対してコメントした。キリスト教の行き着くところ、つまり行き詰って崩壊した後に、求めた答えが禅に見出せるのかもしれないね。日本人にとってはごく自然で普通のことが特別な神秘性をもって見えることもあるんだと思うよ。君の場合はそういう感じだね、と。

年齢を重ねるごとに、その感じがもっと感覚としても一層感じるようになった。

以前宣教師すらした熱心なキリスト教信者が信仰に疑問を持って教会をやめた、とか、また、私のヨガの先生も子供の時にキリスト教について嫌な思い出があり、密教的な世界に惹かれるようになった、とか、この国にいると、いまだ、この国の一般の人たちのキリスト教への意向(言わざる圧力というか)が強いだけに、堅苦しさと保守的な一面を感じ、私も息苦しいと感じることさえある。その中で、いつも解放されて自由でありたいと願い続けているのだが。

さて、今夜、友人との会話の中で、彼女は友人といる時間も好きだけど、一人でいる時間がないと駄目なのよと言った。私も全く同感。でも、誰か絶えず近くにいないと寂しくて駄目という人が意外に多いのよと言っていた。
私も、人間は社会的動物で人が必要だけど、一人でいるのがsecure(安定している)じゃなかったら、誰といても、決してsecureになれるとは思わない。