ただいま、教会のピアニスト

の仕事に応募中で、初めに、第一審査のカバーレターと履歴書は合格、演奏を含めた、どちらかと言えば、私の職業面の音楽家としてや教会のピアニストとしての経験などを主に確認する第一面接も合格、牧師による、私の三名のレファレンス(推薦者)との電話会談も合格した後で、再び知らせがあり、今日は第二面接だった。
教会のピアニストごときに、かなり慎重で綿密な選考過程で、ちょっと驚いていたのだが、今日の第二面接は、とうとう来たか、私自身の人生におけるスピリチュアルな旅(平たく言えば、信仰という事だと思う)について話を聞きたいとのことと、私のバックグラウンドチェック(犯罪歴があるかどうかの警察審査)の承認と給与の交渉。
というわけで、またもや、複数によるインタビューを受けた。
私の信仰の旅については、予め牧師から、決して、この教会のメンバーになる必要は全くないし、ここで働いている人たちは、メンバーではありませんから念のため、とされた上で、私の教会に対する姿勢などを知りたいという事だった。
もちろん、私の場合、小さい時から、教会に馴染み、高校では、キリスト教主義の学校に通っていたわけだから、普通の日本人よりも、ずっと知識はあり、大学の研究でも、キリスト教に関係ある論文を書いたので、おそらく、そこにいた人たちよりも知識があるとさえ感じた(やっぱり、そんなことを牧師も後で言っていた)。
私の知っている教会のシステムや歴史的背景や理解など結構詳しく話したが、仕事は欲しいけど、嘘は言いたくなかったので、最後に私の見るスタンツをはっきりと話した。
信仰とは、神と自分個人の問題で、根本的にそこに終始集中するべきであり、どの教会にも属したくないし、いろいろな人たちに対してたえずオープンでいたい、信仰は、個人のものであり、グループ化することにより、戦争が起きたり、いがみ合ったりするのには同意できないから、極端な信仰の持ち主や団体からは避けていたいと考えている、ときっぱりと話したのだ。
就職活動で仕事が欲しいのに、はっきりと自分のこんな意見を言うのは、あまりないと思うので、その時、一瞬、皆の雰囲気に静けさが走り、あ、やってしまった。。。なんて、少し思ったんだけど、まあ、いいや、私の考えに偽りは無いし、宗教や教会に反対しているというよりも、信仰は個人的な問題だと言っただけだし、と心で思っていた。
牧師さんは、それでも柔らかく、私たちは皆人間ですから、同じ宗派でもいろいろ意見が違いますからね、とさらっと流して、そこのパネラーたちに、一人ずつ、私への質問を促した。
そしたら、驚いた事に、全てのパネラーが私の話したことに好感を持ってくれたのだ。
それに、先回の面接で一番難しそうな人だなという印象を受けていた男性が、わざわざ私の名前を呼んで、”N…, thank you for sharing your faith journey and your thoughts with us. It was such a wonderful story. You gave us this wonderful opportunity for us to think about what is the most important thing again and to remember this. We always have to remember this. I really appreciate it….”(信仰の旅と想いを我々に知らせてくれてありがとう。素晴らしい話でした。我々に大切なことを再び考えさせてくれる機会を与えてくれて感謝している。)というではないか。。。
さらに、”We are not an extreme group. We don’t shout in the worship, so you don’t have to worry about it, ha ha..”.(我々は極端なグループではないし、叫んだりしませんから心配無用ですよ。)
結果、思いの外、すっかり気に入られてしまって、私としては、自分で自分自身を正直に出せたのに、受け入れられたという気がして、特に嬉しかった。
この一瞬で、ようやく、ここでやっていけそうかなと(実は初めて)感じることができたのだ。まだ正式に決まったわけではないのだけど、手ごたえはあったような気がする。