感謝祭

今年も、友人家族の招待で、感謝祭の食事をごちそうになったので、料理することなく終わった。素晴らしい料理の数々で食べきれず、お土産も、いっぱいもらってきた。しばらく食事作らなくてよさそう。
その家族は、また本当にいい家族で今日は二世代の家族が集まっていたが、孫の6歳の子の提案で、食事の前のお祈りで一人ずつ、感謝の気持ちを表そうということで、感謝のお祈りを捧げた。とっても心温まるひとときで、みんなは涙ぐんで胸がいっぱいになっているようだった。私は、そういうの苦手で、素晴らしいと思うけど、そういうときに感動する性質じゃない。でも、真摯な気持ちで受け取っているし、心から、よい家族だなって思った。
そんなに素晴らしい家族なのに、驚いたことが二三。一つは、おじいさんが孫に銃を庭で撃って見せているという光景。このご主人は本当に穏やかで優しくてまじめで、教養も高い人だけれど、銃を持っていて、それを、孫の男の子に見せてあげるという考えが、私には考えられなかったのだ。そういうとき、変な雰囲気になりたくないので、この辺では、銃を持ってないと安心できないのですかね、とだけ言った。
それと、もう一つは、そこにいたもう一つの家族は、38ポンドの七面鳥を今日焼いているそうで、その七面鳥の大きさだけでも驚いたが、それをその七面鳥が赤ちゃんのときから飼っていて育てていて、つまり、ペットのように生活していて、今日は、38ポンドもの大きさになったものを殺して、感謝祭の食卓にのるという考え方である。鶏や兎なども飼っていて、日常で食べているという生活。酪農場では確かに普通のことだと知りながらも、改めて、私は都会の人間だと再認識する。私はペットになった動物を食べるということは、どうしても考えられない。魚ですら、家の水槽の魚が食べられるものでも絶対に食べたくないと思っていた子供時代を過ごしたんだし。
私の父親も、中学生のときに、鶏が殺されるのを見て、鶏肉が嫌いになって食べられなくなったと言ってたけど、そういう気持ちの方がよくわかると思うのだ。