これまでも、

コンクールに出していた生徒が勝ってくれて、特に今までは高校生だったので、賞金というか、優勝するレベルのものを受け取っていたわけで、もちろん、私も本当に嬉しかったし、よくやってくれたと思っていた。
でも、今年の勝利は、また違った嬉しさがあり、特に、この生徒の家庭的背景などを考えると、ピアノ教師としての私の存在が、彼にとっていかに重要な意味を持つかとか、その重要性が客観的にもよく見えるので、私の方まで、生かされているという感覚になるのだ。これこそ、私にとっての人生に求める生き方なのかもしれないと思われるほど。
考えてみると、今までの高校生の勝利は、おそらく、彼らの才能もあるけれど、恵まれた環境に育った子たちだから、私などいなくても、または、別にコンクールで勝たなくても、十分しあわせに生きて行ける人たちなのだ。単に彼らが自分の欲をもっと高いところに持っていけるための必要な勝利に他ならなかったんだと思う。つまり、音楽家になるというよりも、この勝利によって、アカデミックで、もっといいランクの大学に行ける、とか、そういう感じだった。だから、素晴らしい演奏をして優勝できて、もちろん私も本当に嬉しかったけれど、今年の嬉しさにはかなわないと思ったのだと思う。
今年のうちの9歳の生徒には、これは、大きなステップなのだから。そして、彼は、これを得なければ、専門的に学べる機会はなかなか得られないのだ。まず経済的に。だから、なんとか、彼には、もっともっと伸びてほしい。それが可能な才能が見えるからこそ、私も頑張りたいと思う。今のこの時が一番大事なときだと思うから、責任重大だ。ここで、うまく成長させられなくて終わったら、せっかくの才能を無駄にしてしまうということになりかねないのだから、私も必死になってしまう。以前、才能あるスケート選手を自分の家に住まわせて、特訓して育てた聞いた話を思い出し、そのコーチの心境が分かる気がした。すごい責任だけど、だからこそ、やりがいあるし、生き甲斐になるはずだ。