云歳の誕生日

最近では、いろいろプライバシーがなくなってきて、ちょっとしたクリックひとつで大変なことになったりする。実は時には、いい面もあるとは思うけど、このプライバシーを守るためにかなりの神経を使うことも事実である。選択の余地もなく、以前作ったスカイプのアカウントでいつの間にか、年齢がバッチリ出ていて、事実ではあっても、別にこれをわざわざ知らない人たちに知らせることはないので、これを消そうとしたら、うまくできなくて、アカウントをキープできず、やむなく息子の生年を入れたら、ようやく登録を消さずに済んだ。そんな作業を随分前にやっていたこともすっかり忘れていたら、今朝、友人から20うん才の誕生日になってたよと言われて、そんなことを思い出した。
というわけで、今日は誕生日だった。近年は年齢のことは考えずに、その日を楽しむことにしている。生まれた時間帯になると、その時がリセットされて新しい自分になったような気がするから、気分も新たにするのだ。今日はたまたま秋晴れのいい天気だったし、過ごしやすい日で、1日楽しく過ごすことができた。たまたまいただいた花が私の好きな色のチューリップで、秋の花でないので、それが特別な気がして嬉しかった。
実のところは、私は、夏でもないのに、季節外れの台風のような嵐の停電の中で生まれたのだから、今日のような平和は日は嬉しかった。嵐の中で生まれたから、激しい波乱万丈の人生なのかもしれないと、母は半分冗談ではあっても、結構心配してくれていたけれど、最近、ある友人の私へのコメントで、
時期的に滅多にやってこない台風と停電の中で、その日を誕生の瞬間として選んで生まれてきたのには、強さと決心と自由と広がりを感じると言われて、
物は考えよう、ああ、そうか、そんな風に考えたことなかったと、日頃から画一的に物を考えないようにしようとしているつもりでも、気づかなかったなと思った。この一年は、画一的に物事を考えないように更に心したいと思う。