先日、

友人がノースダコタで、意味なく検挙された。パイプライン建設問題で、プロテスターたちを支援するために、そこに行っていただけなのだが、警官はショッピングモールで、片っ端から、検挙し始めたのだ。彼は何もやっていたわけではないから、翌日には、釈放されたが、彼が直前まで撮っていたビデオを見ると、その警官たちの態度はまるでナチスの部員のよう。なんだかこの国は、変になっている。
このパイプライン問題では、私は先住民たちの気持ちを思うと、居たたまれない気持ちになる。この国の先住民の平和な生活を奪ったのに、再び彼らの生活を奪おうとしている態度は、アメリカが本来望むアメリカの精神じゃないはず。この国のいいところは、どんな背景の人たちにも敬意を払い、万人の個々の生活を認める精神だったはず。
これ以上、彼らの生活を奪ってほしくない。彼らは、非暴力の抵抗を続けているが、結局彼らの声を聞かず、強行してしまうのだろうか。なんとか彼らの祈りがとどくようにと願っているのだが。。
水が命だとする彼らの祈りは、我々にとっても大切なメッセージだと思う。これを無視することは、我々自身の生活をも無視しているのと同じなのだと思うのだ。確かに、自国に石油があって、それを使えればいいと思うけど、現在住んでいる人たちの生活を脅かしては絶対にいけないと思う。他に方法があるのに、それをしないのは、そういう少数民族、先住民のことを考えていない証拠なのだと思うのだ。