イランのお正月は明日


今日は午後雨が降り出したが、すべてレッスンが終わったときには、朝、まだ咲き掛けだったうちのナシの木の花が、ほとんど満開になっていて雨の中、暗くなる前の夕方の光の中でも光っていた。


ちょうど、そのとき、イラン人の友人家族を見送っていたのだが、彼女は明日がイランのお正月だからということで、落ち着かないという感じだった。明日はうちの子の誕生日なのよと言ったら、わあ、ノールーズ(新しい日)に生まれたなんて、素晴らしい祝福された日に生まれたのねと言ってくれた。これを、子供に伝えなくちゃ。日ごろから自分は運が悪いとぼやいているので、すべてが新しい日に生まれたことを、少しは喜んでくれないかと。。。

イランの一年は365日ではなく、364日と6時間なんだそうで、うるう年はなく、毎年、西暦の3月20日の、毎年変動するある時刻で、一年の最初の一日が始まるのだそうだ。太陽が春分点を通るときをお正月としているということなのかな。


イランでは、このお正月のために身につけるものすべてを新調し(下着も靴下の何もかも新品で)、家中をきれいに掃除して、祖先の霊が戻ってくるのを迎えるんだそうだ。日本のお正月やお盆のことを考えれば、なんとなく想像はできるけど、よく聞けば、掃除も日本の大晦日の掃除ごときじゃなく、まったく本格的。壁は塗り替え、じゅうたんも洗って。。と、普通の人が出来ることというより、洗濯や掃除会社の店に出して、お正月にはすべてピッカピカという状態にするんだそうだ。そして正月は13日間も続き、大概の仕事や学校は休みで、みんな家族親戚を挨拶にまわって、パーティー、パーティー、最後の日は、みんなで戸外へ行って、大ピクニックで、締めくくりとか。

こういう習慣を数千年も続ける文化って、素晴らしいと感じた。元はイランだったが、今ではこのような習慣を14カ国でやっているという。個人の宗教がどうであれ、この習慣を変えないで、続けてるんだよと言う彼女は、22年もアメリカという外国で住み、毎年、このお正月のときに、昔を懐かしみながらも、この時期に自分の国で過ごせないのを、年々さびしく感じるようになったと言っていた。


どの文化もそれぞれの習慣やしきたりがあるけれど、以前は、そんなしきたりなんかと感じて、何事も省略するのが好きだったんだけど、そういうことしてたら、いつか何もなくなってしまうのもさびしいかと思うようになったのは年齢のせいかな。一方で、古い習慣を守る文化も魅力的な気もするようになった。がちがちに、古いしきたりにしがみついて柔軟性がないのは嫌だけど、さまざまな文化を認め、受け入れられる柔軟性を持ち、周りとの平衡感覚を保ちつつ、それでいて自分の文化の美しさを持ち続けられるようであればいいなあと感じる。

ふと、思い出したら、アメリカに来てから、私がこだわりでこちらでお正月にしていたことと言えば、大晦日に年越しそばを食べ、お正月にはお餅を食べ、元旦は仕事をしないようにする。。。ということだけ。なんか食べることばっかりだけど、それでも、何もないよりましかしら?