花に想う

今朝は、さっそく教会の仕事をした。忙しくするのが一番の私の癒しなのかもしれない。生きるとは、生かされて初めて生きる実感があるようだ。周りから必要とされるということが、生きる実感となるようだ。。。。と、そういうようなことを実感できるから、やっぱり仕事が好きだなと思う。

教会では、昨日からボブがもう教会の皆に話してくれていたらしく、皆が祈ってくれたり、私のために、一人一人がハグしてくれたりして、私の気持ちを察して支えようとしてくれているのが本当にうれしかった。この二週間の疲れと時差ぼけもあるのか、朝からめまいがあり、教会でもずっとめまいでふらふらしていたが、気持ちで、頑張らなきゃと新たに思った。

その後、告別式に参列できなくて残念がっていた三男に会いにリッチモンドに行った。日本でのいろいろな出来事をゆっくり話してきたが、彼もずっと祈っていたけど、祈りが聞き入れられなかったと残念がっていた。でも、祈りが聞き入れられてないのではなくて、聞き入れられたから、母はそれほど苦しまずに、静かにいられたのだと説明した。


今日の行き帰り、また、昨日の空港からの帰り道、自然の花がきれいで、悲しくなった。母が一番大好きだったサクラの花が満開の時に母は倒れた。父は20数年前、父の一番大好きだったサツキが満開の時に倒れたので、母はしばらくサツキやツツジ満開の時が嫌いになった。私もこれからサクラが満開になる時に、やはり、悲しくてその時期が嫌いになるのかもしれない。日本に慌てて発ったとき、ここではサクラが咲き始めていたところだった。その頃、日本ではサクラがいたるところで、満開だったのである。そのサクラも散り、こちらに戻ったら、代わりに、レッドバッドが満開で、その淡い美しさは悲しいほど美しいと思った。