落胆

昨年、11月に用事で日本にちょっとだけ帰国したが、その折に、星占い師に、11月に海外に行き、また年明けて行くことがあるかもしれないと言われていたことを、私は母に話していたらしい。(と、書くのは、私自身は、その時それが大して大きいことだと思わず話してたと思うからなのだが、)母は、その二回目の日本帰国はひょっとして、自分のため(病気か何かの悪いこと)なのかもしれないと家で言っていたという事を最近家の者から聞いた。元々言った当の私はそんなことまったく考えもしなかったのだが、人間、そういう勘って働くものなのだろうか。

とそんなことなどを、この間、うちの長男と話した。母が最後に、外で食事をしたのは、長男とで、ちょうどその日は長男の誕生日だった。普段、母は、食べたいものを相手に合わせるのに、その日に限って、うなぎを食べに行こうと誘ったらしい。

長男としては、季節柄、春は、うなぎを食べようとするわけじゃないし、普段は母は自分から食べたいものを誘わないのに、なんか変だなとか思ったり、接し方は、いつもと変わらなかったけど、なんとなく、言葉少なめで元気がないように感じたそうだ。

母が入院した時にも、長男はそんなことを言っていたので、病院で母にうなぎのことを話したら、あの子(長男)はよく分かってるねと驚いていた。実は、身体がえらい(だるい)から、うなぎが食べたくなったのだそうだ。うなぎを食べれば、元気が出ると思ったそうだ。私の母方の祖母も、確か、心筋梗塞の前の最後の食事は、孫(私の従兄弟)とうなぎを食べたとか聞いていたっけ。なんだか、こんな偶然。。。


ところで、母の部屋のベッドの横にあった何冊かの文庫本の中に「人生百年を生ききる」というのがあった。ここ近年、あまり詳しく母といろいろ話してなかったことを思い出し、悔しかった。以前はいろいろ話し合っていたのに。一体、心で、何を考え、何を思っていたのか。。。電話だけでは交わせないものの限界を感じ、がっかりしてしまった。もっと、話をしたかった。もっと、考えていることを話し合っていれば、どう感じていたかが分かったのかもしれない。

私自身はまだ、「人生百年を生ききる」という本を買って読もうとは思わないが、身体が元気でありながら読もうとする母の「年齢」というものへの感じ方は、実際の年齢をより意識する年齢になってくると更に違ってきていたのだと思う。それが頭では分かっていながら、心の奥にある話や気持ちを聞いてあげることが十分できなかったのは悔しい。あまり文句を言わないし、私に心配させないようにする母の性格を考えると、そう簡単に話さないのかもしれないけど、やっぱり知りたかった。それに、たとえ、元気そうに見えても体が調子悪い時も何回かあったのかもしれないとか。。。体がだるくて弱く感じれば、そういう「年齢」というものに対して、より敏感に感じるだろうし。

なんだか、きりがないけど、私が近くにいたら、違っていたのかもしれないとか。。。

そして、病院では、どうして、もっと電話をかけていろいろ話してくれなかったの、なんだか今年になって、特に電話もあまりかけてこなくなったように思うけど、という私の恨めしい質問に、最近(私がなかなか日本に帰らないから私には)もうあきらめてしまっていたの、という答えには、やっぱりショックだった。こうやって、すぐにアメリカから飛んで帰ってくるのも期待してなかっただなんて。。。

私は、母が元気でいることは普通のことで、変わらないことて、それが当たり前だと思いすぎていた。。。とんだ勘違いの落胆。


この頃、ふと、こんなこと、もろもろ浮かんできてしまう。