今年の母の日

グーグルの母の日は、アヒルの親子。私も母親なのだけど、今年に限って、自分が母であるという事よりも、私の母のことを想い、母の日おめでとうという言葉が、辛く感じた。子供の頃、母の日にお母さんのない子は白いカーネーションをという事があったけど、先月亡くしたばかりの私には、今日の母の日は、まだちょっと心の整理がつかなくて、気持ちが乗らなかった。

だから、教会の礼拝が終わった後で、ボブが親切に、私に声かけをして、Happy Mother’s Day! 母の日おめでとう、いい日を送ってね。I hope you get a lot of phone calls today. たくさん電話(子供たちから電話)が来るといいねと言ってきたとき、今の私は自分が母だという意識がすっかり飛んでいるので、I don’t think I’ll get any phone calls from anyone. 別に、誰からも電話ないと思うわ、と言ってしまった。ボブは困った顔をしたので、私は続けて、私の家族はそんな習慣ないから気にしないの、と言ったら、彼はさらに困ったようで、じゃあ。。とにかく。。。いい日をね、と締めくくった。

私は、なんか教会員の表面的な、社交的で、親切そうな言葉かけに、ちょっとくたびれていて、私も表面的に相手に合わせておけばいいものを、今日に限って、ちょっと反抗的になってしまった。それは、やはり、私の母への気持ちが、まだ解決してなくて、私は子供じゃないけど、この気持ちは年齢に関係ないと強く思っているからだと思う。父が亡くなったとき、父は54歳だった。この年齢はまだ早いと誰もが感じ、周りの人たちから、そんな若さで亡くなられるなんて、とよく言われたものなんだけど、だからと言って、年齢がいっていれば、亡くなっていいのかというものでは決してない。何歳になっても、人が亡くなるという重みは、決して変わるものではないのだから。

だから、私の母の日は、おめでとうなどというお祝いのような言葉とは、まったくお門違い、亡き母をひたすら想う日となり、私のリアクションはそれを周りが分かってくれない苛立ちの結果だったのかもしれない。

というわけで、今年の母の日は、気分がちょっとダウンのままだった。