哲学者の中で、

確か、父が一番気に入っていた、というか、興味があったのはデカルトだったと思う。この間、ニーチェについて、生徒と話してから、人生の意味とか、自分自身の存在とか考えたりしていて、私自身、あまり多くの哲学者の思想を知っていたわけではないけれど、その中で、テカルトの「我思う、ゆえに我あり。」は、なんかほっとする一文だ。

あまりにも有名な一節だけれど、ただ単純に、考えている自分がいるからその自分が存在しているという意味ではなく、何もかも疑ったデカルトが、その疑っている存在である「自分」があるということだけは真実だとした、と習った覚えがある。数学の1+1=2ですら疑おうとするところから始めたけれど、その疑う自分がいるのは、真実。人生に、そして自分自身に、意味があるかどうか、それは分からないが、よく分からないと思う自分がいる、は真実なのだ。そこに、否定じゃない肯定性があると思う。

昨日の感動的な夕焼けの見えた自分がいることは真実ということなのだ。たとえ、幻想を見ていても、その幻想を見ているかもしれないとする自分がいることは真実なのだ。この真実に身をゆだねてもいいのかも。。。