秋の短さ

というのは、先日、本当に最高の気候の日と感じていた日が2、3日続いたと思ったら、今日は、なんか急に寒くなり、昨日までのクーラーのエアコンから、ヒーターの暖房に切り替えた。本当に素敵な秋の日は短いなあ。今日は、雨が降り出した。

クラスは順調。単語テストを希望者に時間外に何回でもやっている関係で、授業前がさらに忙しくなり、このところ、授業前の一時間があっという間にたってしまう。

今回の二年生のクラスのレベルは、比較的に高く、ずい分テンポの速い授業ができて、楽しい。一年生の方も頑張っている学生たちは、いいんだけど、苦しそうな学生ももはや二、三、出てきているから、ちょっと気になるところ。

ところで、一度だけ、私のクラスに入ろうとしてくれた英語のファカルティがいて、同じオフィスなのだが、先日、「奥の細道」の英語版の本を貸してくれた。彼は、芭蕉の俳句にとりわけ入れ込んでいて、そのために、私の日本語の授業を取ろうとしたのだそうだ。

私は芭蕉は、大学時代に勉強した以来で、今、再度読んでみるととても面白かったし、その翻訳について、彼と話し合いができてよかった。

あまりにも有名な「古池や、蛙飛び込む水の音」の翻訳でも調べてみると、30種類以上もあり、その中で自分の感覚にぴったり来るものはなかなかない。そりゃあ、そうだ、大学時代には、日本語だけの世界ですら、数々の文献を調べて、ようやく、どんな解釈がまっとうかを討論していたわけなんだから、当然である。

この句に見る静けさの{静}と「閑かさや、岩に染み入る蝉の声」の{閑}の漢字の意味の違いなどを説明して、同じ静けさでも意味合いが異なることなどを例に出して、句を説明してたのだが、私の場合、日本語の言葉ならではの味わいを楽しんでいるのに対し、彼の場合、英文翻訳でだけで、芭蕉の俳句に夢中になれる、という奥の深さを思い、楽しいなと思った。句の一字一句を英語で説明しながら、討論するうちに、次第に一つの解釈の一致が出てくる面白さは、英語、日本語に関係ないものを感じた。