書道クラス談議

この間、大学のうちのクラスで書道のプレゼンテーションと実践を日本からの発表者を招いて行なったのだが、その反響のよさは、予想以上だった。

日頃、書き順などの指導で、なんでそんなこと気にしなきゃいけないの?という態度の学生も時々いるのだが、書道を体験したら、書き順が大切であることがよく分かった、というコメントや、 はらう、とか、はねる、または、とめる、といった書道特有の文字の扱い方がとても不思議で興味深く感じたというコメントをした学生もいて、貴重な学習の機会になったと思う。こういう、はねる、とめる、などのことに集中してていねいに文字を書くと、武道にあるような、道(どう)という哲学的なものが感じられたという学生もいて、その感覚はなかなか鋭いと思った。

その道の専門の発表者によると、書道は、はじめの準備から始まって、片付けで終わる、つまり、片付けも書道をする一環で大切な部分だということなので、片付けも学生たちにやってもらったら、ていねいに洗ってくれた。ただ、このクラスの学生たちがみんな親切だから、片付けもお手伝いとして一生懸命やってくれたわけなんだけど、その意味するところは本当に分かったのかなとも思った。

この国では、概して、何事も標的である何かが、一流に素晴らしくできていれば、社会的常識のマナーとか態度とかが悪くてもいいじゃんっとか、何でもやってもいいってな傾向が強いように思うから、そういう意味で、片づけがちゃんとできなきゃ書道がどんなにできてもちゃんとやったことにはならないってことが理解できるのかなって。

うちの子がバイオリンのフレーズで、ジョシュア・ベルは、楽譜上はレガートで一弓で弾くべきフレーズを弓をかえして弾いているけどいいのか、と先生に聞いたら、あれだけうまく弾ける人は何やってもいいんだよと言われた、とか、或る、有能だけど、いつも大口叩くので皆が嫌っているアメリカンフットボールの選手も、あれだけ嫌われていても、すごいプレーをするので、みんな仕方ないと思う、そんな風だから、この選手もますます態度がでかくなるわけで。。。  

ってなことを、感じながら、徐々にこういう事も学生たちに伝えていきたいと思う。