母を想う

先週末、ConferenceでWinchesterに行ったとき、その町に住む友人が迎えに来てくれて、一緒にお昼を食べた。彼女は、病院で看護士の仕事をしている。7月にSilver Springsのほかの友人宅で会って以来だった。

今回は、昼ごはんを食べながらずっと、お互い、霊的なこと、spiritualなことばかり話し合っていた。実は、私は、この頃、変な勘が当たるような気がして、時々ぞくっとすることがあった。夜、夢で見たことが、次の日に本当に起こったりとか、夢で気になっていたことがあると、次の日にその件に関してメールを貰ったりとか。

やはり、日頃からspiritualな感覚が鋭い彼女も、なんでも偶然っていうことはなく、必然なんだと言っていた。また、看護士として働いていると、人の最期には、不思議なほど、その人の一番近く思っていて、一緒にいてほしい人を呼ぶということに気づくという。お見舞いに病院に来ている家族が、病院を出て帰ろうとしたけれど、何らかの理由で戻ってきたら、急に亡くなったりとか。

私自身、母が亡くなったとき、看病を弟嫁と代わって数分後だったし、そのことを考えれば、最期に私を呼んでくれたのだと思えるし、いろいろ思い返してみても、悔いが残らないようにしてくれたと思える。でも、まだ喪失感で、時々、つらくなることがあるのも事実。日頃近くにいなかったので、それはいいのだけれど、話をしたいと思って電話をかけなくちゃと思っても、ああ、そうだ、もういないのだなと、はっと我に返るとき、どうしようもない気持ちが押し寄せてくるのだ。こんなことを繰り返しながら、「事実」を受け入れていくのだろう。


だから、子供たちが私を必要とするときには、できるだけその瞬間を大切に、availableにして話を聞いてあげようと思う、お互いに悔いのないように。一瞬一瞬を大事にしなくてはと。昨晩、上の子が日本から電話をかけてきたとき、いろいろ話した後で、彼は、実は今、気持ちの不安感で沈んでいたけれど、話したら、少し楽になったよ、聞いてくれてありがとう、と言ったので、いいよ、いつでもいいから、かけてね、と答えながら、ああ、これなんだ、必要とされる時に、availableにしてあげられるということが、私のできる唯一のこと、そして、それが、私が母から受けた愛情だったような気がする。気まぐれな私に対し、母は私にいつもavailableにしようとしてくれていたから。今度は私の番。