エピソード

日本に帰るたびに靴が壊れるが、今回もまた壊れて、急遽、買ってはいて歩いていたら、足の裏に豆ができてしまった。と、これほど、日本では歩く歩くの日々。アメリカでは歩くためにジムに通ったりしていたし、ゴールドジムは名古屋にもあるから、国際パスをもらってこようかと思ったが、そんな時間など無いだろうとやめたのだけど、それよりも、ジム行かずとして、ジム以上の運動をしているかのような汗と肉体的疲労でくたくただ。

それでも、次男の大学に行って、伴奏合わせをしたり、以前の友人仲間と素敵なお店で、歓談会食したり、長男と一日中、のんびり過ごしたり、実は今日、その息子と二人で自転車で15分のところに住む息子の友人宅に、自転車をこいで行った。久しぶりに風を切りながら走るのは気持ちよかった。長男は私の一時帰国が有頂天で、皆に私の話をしていたらしく、あちこち、この人も私に会いたがっていたとか、あの人も会いたがっている、とか。。。もう一体何をしゃべっているのかしら。

ところで、昨日は次男と一日出かけたが、一緒に次男の友人のバイオリニストのコンサートに行き、次男の知り合いの人たちに会った。一緒にコンサートに行けるなんて本当に珍しく、私はうれしかったのだが、コンサートの後で、30年前の知り合いから声かけられてびっくり。しかも彼女は私の名前も覚えていた。まだ独身の頃の知り合いである。私は顔は覚えていたものの、他は何も思い出せなかったが、彼女が何もかも覚えてくれていたことに感謝した。

もちろん、彼女は、私がアメリカに住んでいるなど、まったく知らなかったのだが、息子を見るなり、日本語は出来ますかと、聞いたので、ヒヤッとしたのだが、案の上、息子は不愉快になり、不機嫌になり、もう、他人は勝手なことを言ってくるものだと、私も嫌だった。

おまけに、そういうときに限って、コンサートの後で、二人で食事をしたら、ウェイターが、英語のメニュを持ってきます、と英語のみのメニュを親切に持ってきたのだ。いよいよ怒った息子はこの人に、ぼくは日本人で日本語は母国語なので、英語のメニュは要りません。失礼です、と怒りをぶつけた。あ〜あ、言っちゃったなと思っていたら、そのウェイターは、すみません、見かけで判断してしまって本当にごめんなさいと、神妙に頭を下げて繰り返したので、息子ももういいです、と気持ちがおさまったようで、ほっと一息。ただ、これで、終わりかと思ったら、今度はこのウェイターは何だか異様に息子に興味を示し、名前を聞いて、年齢を聞いて、出身地を聞いて、握手してお友達になりたいですと言ってきた。彼は若くて優しくて感じのいい青年だったが、ここまできたら、なんだか、変な気がした。


次男はこういう経験がしょっちゅうで、日頃おとなしくて穏やかな性質なのだが、もう何も言わないで我慢するのは嫌だと言った。少なくとも、言葉で表現して自分の不快感や、いかに人が無知であるかを分かってほしいとか。ここは日本なんだから、基本的にどんな見かけであろうと、日本語で話しかけるのが基本、たとえ見かけが日本人に見えなくても、当然のことのように英語で話しかけるとか、日本語は出来ないのだと勝手に判断する人々の無知さをいつも痛感するという。