Emotional incidents

今朝は、二ヶ月ぶりに教会での礼拝で弾いた。今日は、4人の女の子たちの洗礼式もあり、弾く曲も普段以上だったが、とても楽しかった。すでになつかしい人たちに再会して、うれしかった。Mは私に会って、涙ぐんだ。彼女は見かけは元気そうに見えたが、実は心臓が悪く、時折来る息切れと不整脈で悩まされている。とても不安そうだったので、私もほっておけない気持ちになり、今度、電話して様子見に行きますねと言ったら、また泣かれてしまった。いつも優しくて暖かくて素敵な人なので、なんとか、元気になってほしいと願う。


さて、私の近所のピアノの先生の友人は、冬に、stroke(卒中の発作)が起こり、私が、一時期、彼女の生徒のレッスンを引き受けていたのだが、彼女も徐々に回復して、レッスンにも戻り、最近にはすっかり元気になっていた。ミーティングなどには、いつも、乗せて行ってあげたりしていた。

本当に元気そうだったのに、最近、私が書いた記事を彼女の担当であるCMTAの会報に載せてくれなかったので、メールを送ったのに返事も来ないし、ちょっと苛立ちながらも、一方では、責任感が強くしっかりしている人だから、返事も来ないなんて彼女らしくないし、どうかしたのかなと心配していたのだが、なんと、どういう具合でそうなったかまだ知らないけど、いきなり、病院のICUでcoma(昏睡状態)で、回復の見込みなしとの知らせ。

またstrokeだったのかもしれない。もう、本当にショックで、急に気持ちが落ち込んでしまった。確かにあの気丈でしっかりした彼女が仕事を怠るのは変だったのに、私ったら、苦情のメールを書いたりして。。
前の卒中発作の後ですら、自分で私にレッスンをお願いねと電話してきたし、車の乗り降りを手伝ってあげようとしても、彼女はただ時間がかかるだけよ、大丈夫、自分でできるから、と精神的に強くて自立していた。
本当に悲しい。元気だった人が元気じゃなくなる時の変化についていけなくて、力が抜けてしまった。


もう一つ、ここに書いておきたいこと。
4年前の日本語のクラスの生徒から、びっしり3ページにも渡る本当に長いメールが来た。彼は本当にユニークな好青年だったが、今、一年間ぐらい、京都で、茶道を学んでいる。彼が、私宛というより、おそらく自分の書いたエッセイの一年間の記録的なものを私へのメールに入れてくれた。彼は私に、これは多分、あなたが知りたい以上のことだと思うから、読んで自分の日本での様子を想像してほしいと書いてあった。

一年間の散文詩的で芸術的感覚に満ちた彼の文章は、目に見えるような美しさと共に、その感性が魅力的だった。彼はわずか、24歳、その自由で創造的な個性を思い、まったく不思議な魅力を持った若者だと思う。そんな感性を持った興味深い青年である彼が、もうこれ以上、日本には住もうという気持ちはないと言った。

この世のものかという美しさや貴重な素晴らしい数々の経験の一方で、日本人の多くの人たちは、…seem to have put themselves into a pressure cooker and have no intention of turning the heat off,…(自分を圧力釜の中にいれて、火を止めようとする気配がない)

と表現し、

…an ability to communicate that is beyond what I thought would be possible and a cultural barrier that is impossible to scale even if I spent the rest of my life trying……(コミュニケーションは予想以上に可能なのに、文化的な壁は計り知れず、これから一生住んで頑張ったとしても難しいだろう、)

と結んでいる。

実は、これらの言葉は、私には少なからずショックだった。

でも、京都の裏千家の修行は人並みはずれた世界だと想像するし、日本人の私でも、おそらく、いや、絶対、私のような絶対自由人には、とてもやって行けるところではないと思う。おそらく、彼は、自分で言うように、日本に来る前には自信があったという性格の、自分の如才なさや忍耐力、享受能力、優しさなどを持ってしても大変な世界だったということなのだと思うが、それでも、その中で彼の感じた世界を是非とももっと詳しく聞いてみたいと思った。