お葬式とGPSについて

先日、フィラデルフィアのRのお父さんが亡くなり、私がお葬式などに行くか行かないかで、一転二転三転。。というのも、Rの心配性と遠慮で、つまり私の運転と宿泊諸々の心配で、行かない方がいいとの結論を言われていたのだが、そういう問題がなければ、行ってもらえたらとのニュアンスをなんとなく感じ、そのメッセージを読んだ夜中1時半に、急遽、行くことに決断。
即、ホテルを予約し、式の行なわれる教会への行き方を印刷し、次の日の早朝、家を出た。もう出発したのに、Rのお姉さんは、遠くて大変だから来なくてもいいと言う。今更言われても、私行くわよの勢い。Rも、私が行くと決めたなら、仕方ないけど、それならば明るいうちにホテルに先に行っておいた方がいいとのアドバイスで、道順を調べて電話で教えてくれて、なんとか、ホテルには着くことができた。

ところが、その後が大変。予定外にホテルに先に行ったものだから、そこから教会までの行き方が完璧に分からなくなり、それと、大都市のハイウェイの運転の大変なこと。左へ曲がれと言われても、分離帯で曲がれず、右に一旦行ってUターンをしようにも、他のハイウェイに入ってしまって簡単に戻れなくて方向感覚を失ってしまったり、またDouble Lane{何車線もある広い道が二つに仕切られている}の道は、曲がりたくても曲がれなかったり、端を走っていると違う道に自然に走ってしまったりするし、人に聞いても、皆よく道を知らないようで、いい加減なことを言ってくれたり、おまけに、ちょうど向かう方向が夕日で眩しくて、道路サインが見えなくて、など、など。。

順調ならばホテルから30分で行ける距離をなんと2時間かかってしまった。
その間、何回かRのお姉さんに電話したけれど、彼らも日頃そこに住んでいるわけじゃないので、やっぱり全然分からないから、信仰深いお姉さんはとにかく祈っているわよとだけ。私はわざわざここまで来て式に間に合わなかったらと、一時はほとんどパニックになりそうだったのだが、まさに奇跡のように、ぎりぎりだけど滑り込みセーフで間に合った。一日中の運転とこのドタバタストレスで心身ともにクタクタだったが、Rにビデオを撮ってあげるとの約束が果たせた。

お葬式とメモリアルサービスは素晴らしいものだった。お父さんは、戦争中に軍人だったから、Honor Guardsによるアメリカ国旗の儀式があり、とても印象的で感動した。その後、カソリックの儀式で荘厳に、でも神父さんが歌ったたくさんの歌は感動的で素晴らしかった。普段のお葬式ではそんなに多くの歌は入らないらしい。

大変だったけど、無事に役割が果たせて、本当に良かった。明るくて元気なお父さんの姿を思い出し、悲しかったが、私の心の中に浮かぶのは、笑っていて、元気で、楽天的で何事にも動じない人柄で、これは素晴らしいことだと思った。人が亡くなったとき、人の心に思い浮かべる姿が前向きでポジティブなのはやっぱり大切で素敵だと思う。

次の日は、墓地に行き、お父さんの意思で火葬された灰を祈りながらまいた。悲しかったが、すべて指示が遺言の中に示されていて、お葬式代金なども、自分で予め支払ってあって、残されたものに苦労かけないようにされてあったことは、あんな気楽で、何事も自然に任せるようで全くこだわらない性格に対して、驚きと共に素晴らしい生き方、そして人生の終わり方だと思った。自分で生まれる準備はできないけれど、いつでも逝ける準備をしておくこと、これは、私には課題だと思う。私は生への執着が強いので、人生後半に向かうものとして学ばなければいけないと思う。

いろいろな後の用事でもう一泊してほしいと言われ、また違うホテルをとり、昨晩遅く帰ってきた。結果として、行ってよかった。皆が、本音は私に来てほしいし、Rの本音も私に行ってほしかったわけで、こういうことって、日本ではよくあることかもしれないけれど、どこでも、人間は同じように考えるということだと思う。


ところで、私の一日目の大都市の運転の大騒動は、二日目の朝には、運転が信じられないくらいスムーズに行き、我ながら驚いた。
それに関して、この頃のGPS志向について一言。
道に迷ってパニック寸前には、ああ、GPSがあれば、こういう時いいんだろうなとちょっと弱気になって走っていたけれど、二日目に思ったのは、私はやっぱりGPSはいらない、という結論だった。
というのは、おそらくGPSがあったら、二日目もGPSに頼り、道を感覚で覚えることはないだろうとはっきり分かったのだ。道に迷いながらも、道路のサインを見ているので、頭のどこかで、それを覚えていて、二日目に走ったときには、頭の中で、地図と絵が書けていた。それでも、二日目のホテルはまた違うところだったので、不安だし、間違えながら覚えていくという感じだったけど、探すのが楽しかった。{時間に余裕さえあれば、迷ってもパニックはしない。}
徐々に頭の中で方向と地図を書いているという感覚が楽しかったのである。GPSでいつも指示に従うという方法では、そういう感覚を磨くことができなくなって、それに頼るしかなくなるような危機感が見えた。
私は、やっぱりアナログ人間だし、それを誇りにさえ思う自分がいて、他に頼らず自分で開拓して行きたい願望を抑えられないと感じた。元々地図を片手に冒険が好きだったから、それはこれからも変わらないだろうと思う。