世界の単位で思う時、

最近をとってみても、いろいろな災害があり、そのたびに、義援金を送ったりする話題はよく聞いていたし、実際、うちの大学からは、お金だけでなく、グループで地震のあったタヒチに助けに行ったりもしていた。この日本の地震に対しても、さっそくうちの大学から義援金の送り方のメールも来たし、これは、いつもどおりなのであるけれど。。。
今回、一般のアメリカの人々の優しさを痛感することが多くて、このところ、ちょっと感動している。
日頃、お付き合いのない人たちでも、今回は、わざわざ私のところに来て、私の家族親戚友人たちについて大丈夫かと話しかけてきてくれるし、皆、口々に、何か、手伝う事があったら、遠慮なく知らせてね、とか、ずっと祈っているよとか、ずっと地震の時から私のことを考えていたけれど、元気にしているかというメールが来たり。。。
実は、初めはその応対が面倒だなんて罰当たりなことを感じていたのだが、今では、その人たちの誠実な優しい心が感じられ、皆優しいな、と心温まる事も多々。
その背景には、日本という国は何はともあれ、愛されてきたのだなというのを感じることができる。すぐに、義援金をどこに送ったらいいか、教えて頂戴と言う問い合わせも何人か受けたし、単にお金持ちの人たちの心の余裕以上のものを感じることができた。多くの人々が日本のために祈ってくれていることを思うと、いかなる宗教であれ、その祈りが、何とか、聞き入れられて欲しいと思うし、いえ、きっと聞き入れられるに違いないと信じようと思う。
うちの学生たちも優しい。今週は春休みだったのだけど、クラスがないので、代わりに皆で私を慰めてくれようと私のうちに来てくれたらしい。その時、たまたま私は出かけていたけれど、先生家にいないんですか、今、皆で先生のうちの玄関にいるんだけど、って、電話かかってきた。