友人によると、

私の日頃の行いがよかったそうで、私がこちらに着いた日から二日間はとても涼しく、過ごしやすく快適だったのだが、今日は暑くて、蝉も鳴いて、やっぱり、これが日本の夏だと思った。懐かしくもあり、夏ばてしそうな、日本の夏。それでも、この辺は森や林が多くて木陰もあるので、朝などは気持ちいい。時差ぼけのせいで、早朝から目が覚めるので、朝歩くと、集中していろいろな考えなどがまとまってくる気がする。

今朝は、車が使えたので、朝早くから、お墓参りに行った。誰もいなくて静かな墓地で、ろうそくに火をともし、お線香立てたり、お花を供えたりして、自分だけの静かな時間で母に語りかけてみた。偶然、今日は父の月命日の24日だということを思い出した。母が生きているときには、毎月24日には自分で花を供えたいからと、毎月行っていたのに、今は花も何もなく、暫く誰も来ていないということが明らかだったのが、少し悲しかった。でも、きっと、ちょうど今日のめぐり合わせだったのだと思う。この日に私も来れてよかったと改めて思った。

一方、一つショックな発見もあった。うちの両親のお墓のすぐ近くに、親戚のお墓もあるのだけれど、昨年伯父が亡くなっていたことを知ったのだ。どうして知らせてもらえなかったんだろう。アメリカにいるから?来れないから?私のほうは季節の挨拶などを出しているにもかかわらず、誰も知らせてくれなかったことがちょっとショックで、力が抜けた。また、私の嫌な勘が当たってしまったことにも、ショックだった。というのは、昨年の暮れごろからなんとなく伯父のことが浮かんできて、夢にも出てきたし、お元気なのかなと考えたりすることがあり、今年は従兄弟から年賀状が来なかったので、変だなと感じていたのだ。しかも、今日の墓石に刻まれた日にちを見ると、昨年7月17日とあり、ああ、私は日本にいたじゃないの、昨年は19日にアメリカに戻ったのだから。愕然としてしまったのだった。本当なら、私もお葬式に行けたかもしれないのに、少なくとも、お通夜には。。。



月日の流れは無常に流れ、芭蕉奥の細道の冒頭の言葉すら浮かんだ。

月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり。。。