この一時帰国で想うこと

今回の日本一時帰国は、日本を離れて10年ということもあり、いろいろ考えたりする機会でもあった。10年という年月は、短いようで長く、長いようで短い年月だという表現が一番しっくりくると思う。あっという間だけど、いろいろな変化があって、町も何もかも、その変化を、ちょっと客観的に遠くから観察しているような少し冷めたものもある。

懐かしい友人たちとの会話も、本当に楽しいけれど、あまりに自分が日本の生活から離れてしまっているものを感じ、ちょっと不思議な感覚もあった。日頃一生懸命やっている自分の感覚と、ここで見聞き感じるものとに、何らかのギャップを感じたが、実は、それは10年前もあったものだと思うのだ。だけど、それがますます大きくなってしまっていると思った。

今回、少し悩んでいた感情的なものがあって、ある古い友人と話すことにより、救われた気がしたのだが、ある程度の年齢にならないと、または、同じような経験を持たないと、決して分からないと思う気持ちを分かってくれる友人と、心を割って話が出来たことはうれしかったし、励まされる気がした。
今日は、その友人の紹介で、よく当たるという占い師のところに行った。実は少し半信半疑だったのだが、なんとなんと、はじめから終わりまで、当たる当たる、私の思っていることや何もかも、的確に表現してくれて、私のしていることは間違っていない、それでいいんだよと、後押しをしてくれたのだ。それと、私は直感と勘が非常に優れているから、感じるままに、思ったままにすれば、それが正しい道だとすら言われた。それって、嬉しいこと。今まで感じてこうなると思ったことがそのとおりになったことが何度もあったはずだとはっきり言われたが、確かにそのとおり。だから、私の信条は、心から沸いてくる思うがままやること、これが一番なんだといつも楽天的になっていたと思うのだ。

私の考え方とか、生き方が、あまりにも、普通の人と違っているので、時々、不安になるかもしれないが、普通の人のように生きたら、私は駄目になるとまで言われてしまった。思うがままでいいんだよ、とは、なんという励まし。。つまり、私はまったくの自由人なので、自由でなければ生きられないのだそうだ。
自分でそれは分かっているなと思った。だって、老人ホームでテレビを見ている人たちを見たとき、私は絶対、そういう生活は嫌だって思ったことを思い出す。身体さえ元気であれば、私は何だってやっていけるという自信がある。だから、もし私が病気がちで動けなくなって、部屋でテレビを見ることしか出来なくなったら、おそらく誰よりも、人一倍落ち込むんだろうなと思うのだ。