今朝は、

早朝7時半に電話で起こされた。大概の人は7時半なんてそんなに早朝じゃないと思われるのかもしれないんだけど、私には、結構きつい。昨晩も寝るのが3時ごろになってしまったから、寝不足は明らか。
電話の主は車の修理屋さん。実は、二日前、うちのスバルの調子が悪くなり、昨日から預かってもらっていた。結局、修理に1200ドルのコストがかかるとのこと。この車は10年乗っていてオンボロになっても、愛着があり、(きっと寝不足もあってか)急に悲しくなってしまった。もしかして、これで、もうこの車との別れなのかもしれないと感傷的な気分になってしまったのだ。
実は、今までいろいろな車に乗ってきているのだから、こんな気持ちになるのはちょっと変だと自分で思いながらも、こういう気持ちになるのは、何か魂やつながりを感じるからなのかもしれないので、理屈じゃない何かを感じるときには、素直に受け入れようと思うから、素直に悲しいなと思った。でも、一方では、もう全く乗れなくなるのであれば、仕方ない、これがキリということなのかもと冷静に考えてもいた。

そこで、いつも思い出すのは母の以前言った言葉。父が高校時代買ってくれた(その頃では)高価な腕時計を10年間大切に愛用していて、形見のような気持ちでいたのに、外出先で失くしてしまった時、ずい分落ち込んだことがあるのだが、ショックだと母に言ったら、同じように、残念だったねと同感してくれるのかと予想していたのに、ああ、それは、よく10年間も大切にしてくれてパパ(父)もきっと喜んでくれているよ、と言ったのだ。
同感してくれていたら、きっと、私はもっと気分が悪くなっていたかもしれないのに、母が明るく、よく大切にしてくれたわねと全く逆の反応だったのが、意外なのに、ああ、そうなんだ、と急に気持ちが明るくなった記憶がある。
だから、ネガティブに見えることはポジティブの異なる姿なんだということを、いつも意識していようと思ったのだが、愛車のスバルも今朝は悲しかったけど、ふとそんなことが浮かんでいたのだ。
結果、まだ修理してもらえるようなので、修理することにしたら、もうあと少しなのかもしれないけど、もう少し付き合ってくれるようで嬉しい気分になった。でも、いつかは別れの時がくるのだろうな。