クリスマス

の今日、久々に、掃除、洗濯、料理、という所謂主婦業を行う一日を過ごした。こういうのもたまにはいいけど、いかに日々、忙しく飛び回っているかをつくづく感じた。ようやく、座ってクリスマスカードを書いたり、また受け取っていたのに開いてなかったクリスマスカードなどをようやく開き、イギリスの懐かしい友人の写真を見ながら、想い出に馳せる。
実は彼女には、ずっと以前に、通訳として名古屋を案内して出会ったのだが、いまだに毎年欠かさずカードを送ってくれる。イギリス人は律儀だという面が日本人と似ている所以。彼女はその頃、まもなく離婚して自分の仕事の弁護士として働いていたが、最近、ちょっとゆっくりしているみたいだった。それにしても、当時、単に年上と思っていただけだったが、今年、60歳になったようで、誕生日パーティーの写真を送ってくれたのだが、とても60歳には思えない若々しさとエネルギーが見えて、嬉しかった。
クリスマスの日にカードを書いたりして、日本の友人への手紙は今年は年明けないと出来そうにないな。なんと、今週末、ダンス競技会なんだから。まったく信じられない。今日はもう火曜日なんだから。。。これなのだ、こういう年末年始が嫌いなわけ。うっかりしてると、いきなり日が進んでしまうのだから。
ところで、今日うちで話していて、なるほどと思ったことがあったので、ここに書いておこう。
人はとかく本番で緊張して日頃の力が出せないって言うけど、それは、結局、それだけの力がないって言うことだけ。ピリオッド。
緊張してそれがストレスで、いつもの力が出ないのではなくて、ストレス状態を打破するためにエネルギーを使ってしまうから、本当の力が出せないわけで、本当の力がある人は、どんな状態でも、自分の力が出せる。つまり、緊張状態だからこそ、本当の力が見えるというものなのだ。つまりごまかしのない本当の力。とにかくそこで勝負、ということ。


さて、ようやく座って出来たことのもう一つ。クラスのクラス評価のデータの結果をようやく見た。素晴らしいコメントの数々で、なんか、感動的。実際、胸が熱くなった。二年目の或る学生は、私たちのクラスのことを一つの「家族」のようで日本語を学びつつも、人生と人間としての絆や大切なものを教えてくれるOO教授(私)の教授法とパーソナリティは、クラスに活気と平和をもたらしていた、とか、毎回のクラスがa treatだった、とか、クラスメートがお互い仲良く勉強して高め合うことが出来る関係に自然に導いてくれた、など、など、私としては、確かに目指しているものはあって、頑張っているのだけれど、それらがすべて学生たちに通じるとは、期待しないでやっているし、誰かに通じてくれればいいなと、その程度の期待で、私の側からだけは非のないようにと努力していただけなのだけど、学生たちがこんなに受け止めてくれていて、見てくれていたとは。。。それだけでも本当に感動的で嬉しかったのに、日本語の指導法の私の目立たない工夫や苦労などにも気がついてくれていて、具体的に例を出して説明して高く評価してくれていたのも、驚きとともに、本当に嬉しかった。こういう経験が出来るから、この仕事をやめられないと感じるのだ。
やはり、人は、自分が欲しいものを追っかけるだけでは幸せになれない、他の人のなんらかの役に立っていると感じることによって、幸せを感じられるんだと感じる瞬間。これからも、自然体で頑張っていこう。