晴天の母の日

私自身は、実はあまりこういうイベントの日にこだわる性分じゃないし、こういうことはどうでもいいと思ってしまう不真面目なところがあるのだけど、今日は、早朝八時のクワイヤディレクターからのHappy Mother’s day!のテキストメッセージから始まり、一日中、こんなムードの中で過ごした。自分はどうでもいいと思うけど、丁寧に気にかけてくれる友人たちには、真摯に感謝。
今朝の教会の説教の中で、牧師が話した一つのエピソードに、ふと、我が母を思い出した。私にとって「母の日」というイベントは取ってつけたようで、苦手なんだけど、こうやって、ふと、自分の母を思い出すきっかけになるという意味においては、意味があるのかもしれない。いや、そういう意味のためにあるのだろうと思う。そういう意味では、いい日だったのだ。
牧師が話したエピソードは、ある母親の話。昨日、ある大学の野外の卒業式に出席中、いきなり夕立に見舞われた。その母親は、自分のかばんから、合羽を4着、傘を三本取り出して家族や友人たちに渡したという話。そんな時、きっと私だったら、自分の傘しか持ってないと思うけど、私の母は、ドラえもんのポケットだと私たちが呼んでいたかばんから、傘が二本は出てきていたことを思い出したのだ。
それにしても、合羽4着、傘三本はすごい。晴天でもひょっとして夕立が降るかもとの予報を事前に聞いて用意していたのだとは思うけど、いい話だなと思った。せめて生前の母を見習って傘二本ぐらいは持っていられるようにしたいと思った。
こういったことを思い出させてくれる母の日こそ、意味のある母の日なんだと思う。午後は、山のほうに出かけたり、店などをまわったりして、久しぶりにゆったりと過ごせて、心のゆとりを感じる一日になった。