無事に

日本一時帰国から戻ってきた。まずは、一言。日本は暑かった。最後の二三日は、ちょっと気温が低めで過ごしやすくなったと思ったが、ダレス空港に着いたら、こちらも凄い暑さ。やっぱり夏だから仕方ないけど、何処も同じ。でも、家に帰って落ち着いた。こちらは家中がエアコンで、外の暑さ知らずでいられるから、身体にいいのか悪いのか、少なくとも、気分的には快適でいられる。普段、暑さに強いし、暑い夏は好きな方なんだけど、名古屋では特に暑かった。それでも、ホットヨガを去年からやっている日本の友人は今年はエアコンなしでいられると言っていたから、私も日本に行く前にしばらくホットヨガをやっておけばよかったのかな。
さて、今年は、滞在が短かったので、本当にあっという間に過ぎてしまった。でも、時間を無駄に過ごしたわけではない。今年は自分が思うがまま、特にやりたいことを中心に置いていて、会いたい友人に会ったり、行きたいところに行ったりしようと思っていたから、それはできたと思う。

過去二年、京都を訪ねてなかったので、京都には絶対に行こうと思っていたが、たまたま時間が空いていた京都にいる友人が一日中付き合ってくれて一緒に過ごすこともできた。素晴らしい懐石料理もご馳走になり、何年も行ってなかった南禅寺にもまた行くことができた。
今年は、絶対に南禅寺に行こうと思っていた理由に大学時代に見た南禅寺にかけてある詩をもう一度見たかったからだった。この詩は、禅の本質を表現しているものなのだが、大学時代にとても気に入って、書でも書いて部屋に飾っていた。この年齢になると、その同じ詩でも、違う感覚を感じさせてくれるもので、特に最近この詩が心に浮かび、一つ一つの言葉の持つ力を心に感じていたから、その空間でこれを感じてみたかった。生きている一瞬一瞬を精一杯大切に生きていたい。そんな気持ちを新たに、と期待しながら、山門をくぐり、まずお参りしたのだが、そこで早々大失敗。お寺に入ろうとお財布を捜しても鞄の何処にも無くなっていたのだ。

すべて大事なものが入っていたので、本当に慌てたが、なんと、まるで神か仏の声かと思うように、私の事情を知らないはずの受付の人が、黒のがま口ではないかと言うので、何でと思ったら、山門に誰かが届けたとのこと。本当に本当に助かった。自分で山門近くでなくしたのも信じられないけど、誰かが拾ってそのまま届けてくれたのも、信じられない。そして、そこから離れたところにいるお寺の受付の人までそれを私に話してくれたのも信じられない。本当に有難かった。皆皆に感謝感謝。
何事にも慌てず、ゆったりと受け止めて過ごしたいと思った矢先にこんなハプニングで慌てたりして、やっぱり修行が足りない自分を実感してしまった。でも、同時にこの有難い成り行き。一瞬一瞬を精一杯大切に生きるために、自己としては謙虚に感謝の気持ちを忘れずに生きるべきということなのだと思う。