この年齢になっても、

と、この頃感じるようになったのは、やっぱり、本当に年齢を重ねてきているという事実をどこかで、自分で認めてきているのだろうと思う。でも、でも、もう少し、いろいろなことが見えてきていいはずなのに、自分で、まだまだわからないことばかりだと感じている今日この頃である。
昨晩も友人とご飯を食べながら、そういう話をしていた。私は、本当にわからないことばかりで、他人に偉そうなことなど言える時など絶対来ないと思うって言ったら、彼女には、だから私のことを尊敬してるし、憧れているんだと言われた。
本当に苦しくなる位、物事が見えなくて辛いと思ったりするのに、それを肯定してくれている友人がいるのは有難いことだと思った。信じられている、期待されている、と思うことは、時々、元気の元になるから、まずは、頑張らなくちゃと思わされる。そういうのも必要な時がある。でも、一体どうしたらいいかわからなくなる時もあるから、外から見える自分像と、自分自身の内面とのギャップの中で、難しい時もある。
今朝、教会では、弾く方は、普段のようにすんなりとこなしたけれど、牧師に、他の学校で、まだTの伴奏の仕事やっているか訊かれた。まだやっていると応えたが、教会でまだいまだにデイレクターが決まらない状況を考えると、こういうことは、日本ではありにくいかもと思った。日本では、責任ある仕事を辞める時には、後の人を決めないでは辞めにくい風潮があると思うけど、こちらでは、後が決まっていようがいまいが、いい仕事があれば、どんどん仕事を辞めて変わって行くのである。
はっきり言って、彼が辞めてから、私はちょっと気が抜けてしまって、ハリがなくなり、私も気分的にダレた気分になっていると思う。Tほど、責任感がある人はなかなかいないと思うけど、後のこと考えないで、辞めて行ってしまったことに、真剣ではないけど、ちょっとだけ恨みを感じている。。。私だって、もっといい仕事に出逢ったら、後を考えて我慢することなく、前だけを見て次に行ってしまおうかなと思ってもいいのかなと考えるようになった。
Tが去ったあと、私にとって、何かが変わったし、この教会での仕事が前ほど、楽しいと感じない。でも、私の音楽を楽しみにしてくれている人たちのために頑張ろうと思っているだけである。