俳句についての発見

五七五の俳句という限られた文字の句から与えられるものの無限大を感じる。句は作者から離れるや否や、それ自身で命を得て、人に新たに感動を与えるのだ。作者の思いがなんであろうと、それぞれの句の持つ意味がそれぞれの人によって異なり、つまりは、どう解釈してもよいということなのだ。つらい気持ちで作られた俳句であっても、それを受け取る人が、希望のある明るい句に受け取るならば、それでいいのだ。私は、今までそういう見方をしてなかったと思う。目からうろこである。
これは、他の芸術にも通じることではなかろうか。作曲者の意図が違うところにあったとしてもその音楽の持つものが、まったく違う方向で、人に感動を与えたら、素晴らしいことであり、それが芸術たるものなのだと思う。